7. アプローチ・方法論に関する薀蓄

アプローチの違い

先日、約20名の参加メンバーを得て都内で店舗クリニックを行った。いくつかの店舗をまわって、気がついたことを整理するという課題を与えておいた。
特に強調しておいたことは、自分がその店へ行った時に、「居心地が良かったのか」「また、来たいと思ったのか」ということである。
店舗クリニックが終わり、課題発表、総括も終わり、最後にアンケートを取ったが、アンケートの結果は見事に2つに分かれていた。
一つは、「眼から鱗が落ちる思いがした」というものである。
ふだん、店舗クリニックというと何か細々とした調査・分析をやらなければいけない、という印象が強く、経験のない人には難しいと思っていた。しかし、「自分たちの見たまま」「感じたまま」を大切にしよう、ということでとても分かりやすかった、というものである。
一方、「がっかりした」「期待外れ」というアンケート結果があった。
これは、日頃から私のアプローチの仕方がデータを重視するものであり、「店舗クリニック」というテーマから、詳細な店舗分析、具体的な対策の設定を期待して参加した結果だと考えられる。
しかし、店舗クリニックに際して私が強調したことは、「感じ方」「印象」であり、それ以外の細かな点は、全行程を通してほとんど触れなかったので抽象的すぎる、分かり難い、という声が出たのだろう。
実は、店舗クリニックの直前に、たまたまある出版社から「ストアコンパリゾン」に関する原稿依頼があり、競合店調査に関して詳細な分析をするのか、しないのかという点で意見調整がつかず、断ったばかりである。
実際に、競合店調査をする際に細かな分析が必要か否かという点についてはいろいろな意見・考え方があるだろう。
しかし、ここではこのように考えてみるのはどうだろうか。

現状把握のための情報・技術、新しく創り上げるための情報・技術

私は、長年、小売業に関わっているがもともと理工系であり、データ分析などを多用するアプローチを得意としているつもりである。そして、学生以来教わってきたこと、今、企業や学生に教えていることの中で特に大切にしていることは、「事実を正しく掴むこと」の重要性である。
ところが、事実を正しく掴むと言っても、明確に測定できるものとそうでないものがある。特に測定しづらいものの典型が「人間の感じ方=好き・嫌い」である。ある人が「好き」というものでも違う人に言わせれば「見るのも嫌」ということがある。これが人間の感じ方である。
そこで競合店調査(さらに広義では、店舗というものの見方)を考える上で、大前提としているのは次のような点である。 自分自身に置き換えて考えてみると、お客がその店を支持するかどうかは、理屈ではなく、第一印象、つまり「その店を魅力的、心地良い空間と感じることができるかどうか、その店で買物する時間を心地良いものと感じられるかどうか」ということである。
その「心地良さ」について後講釈で理屈がついてくる。
現状で言えば、きれい(清潔、整理整頓)、ベター・イメージ(品質・デザインなど良いものがある、オシャレ、etc.)、リーズナブル・プライス=納得価格・割安さ(チープではない)などがお客に支持される店の条件ということになる。
しかし、このようなことは主にお客が言うのではなく、マスコミや業界関係者がいろいろな店やお客の購買行動を見て分析を行った結果、後講釈として言うのである。
お客にとって、まず、その「店」という空間が楽しくて居心地が良いことが一番だし、その店に行った・買物をしたという行為自体がオシャレでカッコいいことも必要だし、買う・買わないに関係なく、ショッピング自体が楽しいもの・楽しい時間であることがとても重要なはずである。
そして、お客が感じたこと、経験したことの結果が、理屈とは関係なく、行動としてダイレクトに現われる。
つまり、「どの店へ行くか」「どの店で買うか」である。
これだけ店数が多く、買う場所もたくさんある時代である。しかもどの店にいっても似たような商品ばかりが並んでいる訳だから、まずは店自体がお客に選ばれなければどうしようもない。
日経新聞の記事ではないが、「エブリデイ・ロープライス」が「グッドクオリティ、ベスト・プライス」に変わる時代である。私は,ハイクオリティ・ハイバリュー・リーズナルプライスの方が良いと思っているが、価格だけでは、商品が売れない=物だけを売ろうとしても物が売れない時代になっている。
お客が欲しているものは、「物」ではなく、「効用」である。あまり「物=商品、ハードとしての店舗」ばかりこだわっていては本質をはずして何も見えてこない。
「効用」を具現化する手段=媒体として物理的な物=商品を売る、ハードとしての店舗を作る、ととらえるべきであり、そのように考えると単に「物」だけを売るのが商売ではなく、買物する時間・空間を演出し、そこで過ごした時間・行為を含めた「効用」を売る、と考えるべきである。
もともと「効用」と言う考え方はいまさら言うまでもなく古くから言われていたことである。
特に、今のような物余りの時代には物を買うのと同様に処分するためにもコストがかかる。消費者にとって、物不足の時代とは「物」のもつ意味が全く異なっており、従来と同じ尺度・同じ価値観のまま「物」を「物」として売ろうとすることに無理がある。それは、売る側の人間でも自分の購買行動を振り返ってみればよく分かるはずである。
単に物を買っているのではなく、さまざまな与件により、従来の「実用的で安ければ良い」と言う論理では説明できない不合理な意思決定をしている自分に気づくはずである。
価格とは関係ない要素、つまり基本機能(クルマなら走る、電話なら通話できるというように製品としての存在を決定する機能)以外の二次機能(デザイン、カラー、ブランド、その他基本機能以外のサービス的な機能、etc.)という要素を重要視した意思決定=従来の「物」を主体とした論理では説明がつかない購買行動をとっているはずである。
このような理由から、競合店調査では、まず、自分自身がお客になりきって、楽しい時間を過ごせるかどうか、オシャレでカッコいい買物ができるかどうか、ということをお客と同じ目・同じ視点で見てくることが重要である、と私は考えるのである。 いろいろな企業の実態を見ていく中で自分の店で買わない社員、自分の会社で買わない経営幹部が実にたくさんいるものである。自分もそうであったから言うのではないが、まずはそのような事実を認識せずにレイアウトや価格などいくら細かな調査・分析をしてみても何の意味もないのではないだろうか。
重要なことは、自分の店で、しかも売る側の人間が買わない・買えない状況をどう認識するかということである。この身近にある本質的なテーマを抜きにして店舗云々を論じるのはいささか無理があるのではないだろうか。
一時期のQC( Quality Control ;品質管理)がそうであったように、訳も分からずただ手法だけが先行してしまうのでは、本来の意味とは全く異なったものが大手を振って「QC」としてまかり通ってしまう。手法を使う必要がないこと、本来の手法の使い方と異なるものまでどんな状況でもQC手法を使わないと「QCではない」というのでは、本末転倒であり、本質は見えてこない。 自分の店と同じ商品がいくらで売っているとか、どの商品の陳列スペースが何尺ある・ゴンドラ何台あるなどということはある意味では本質とかけ離れた枝葉末節のことである。
そういうところにこだわり過ぎると本質とは関係ない表面的な議論に終始してしまう。
この店は居心地が良くて、「また来たい店なのか」「もう二度と来たくない店なのか」、ということがお客にとっては第一なのであり、これがお客の目である。
以上が競合店調査(さらに広義では、店舗というものの見方)に際して私が一番重要視する現状把握のためのスタンスである。 次に「魅力的」「オシャレ」「カッコいい」「居心地が良い」「楽しい」「また来たい」というようにお客に感じさせている要素(例えばきれい=清潔、整理整頓、ベター・イメージ=品質・デザインなど良いものがある、オシャレ、etc.、リーズナブル・プライス=納得価格・割安さなど)を抜き出し、現実のレイアウト、商品構成、陳列・演出などと結び付けていく技術、さらにそれらを具体的に実現していく技術が必要になる。
例えば、高級感を出すのであれば、照明を落とし、床や什器の色をシックなダーク調にする。什器は低い方が良い。商品の陳列密度は低くし、ゆったりと陳列する。安っぽいPOPもつけない。商品構成はそこでしか手に入らないような良い物、珍しいものなどを強調し、間違ってもどこのチラシにでも載るような特売品は置かない。高級感を維持しながらあまり堅苦しくしないようにするのであれば、照明をいくぶん明るくし、思わず手に取るような面白い商品をさりげなくおくようにする。あまり高いというイメージにしたくなければ、オシャレな雰囲気でありながら値ごろの商品をさりげない置く。あくまでもゴチャゴチャさせずに、さりげなく置くのである。
このように、競合店に対抗できる店舗に変えていくためには、お客にそう感じさせているものを具体的なレイアウトや商品構成などの売場構成要素と結びつけ、実現していく技術が必要になる。(図表-1)

 

これが創り上げる情報・技術ということになる。
一般的に詳細な分析手法と言われているものは、競合店を分析するために必要な技術というよりは、むしろ、自店の状況を把握し、そこから新しく創り上げる時に、具体化する上で必要となる技術といえる。レイアウト、商品構成、陳列・演出技術など皆そうである。
ある意味では、競合店調査、競合店分析という言葉が勘違いを引き起こしているのだろう。何でも細かくやるのが調査・分析ではないし、何でも調査・分析をすれば良いのではない。
調査のための調査、分析のための分析、「調べてみれば何か分かるだろう」では何も分からない。調査・分析をするためには「仮説」が必要であり、「仮説」によって調べる内容、用いる分析手法が変わってくる。
重要なことは、「知る」ための情報・技術、「考える・整理する」ための情報・技術、「創り上げる」ための情報・技術がある、ということを知り、それらを上手く使い分けることである。
私が多用するデータ分析の基本は、全体に対する一覧性( visibility )である。細かなデータは集めるが、フォーマットは、それらのデータが一覧できるようにしたものであり、全体を一覧することで本質=全体的なトレンド、問題の構造・問題発生のメカニズム、改善のチャンスなどを読み取るようにしている。
ジグソーパズルと同じで一つ一つの細かなピースはとても重要である。しかし、それは一つでもなければ全体が出来上がらないから重要なのであって、全てのピースをつなぎあわせてしまえば全体の絵を見ることはしても一つ一つのピースにこだわって見ることはしない。いちいち細かなことにはこだわらない。こだわるのは、改善するためにそれまでとは全く異なる新しいことに取組み、アイデアを具体化していく時である。
具体化するためには、必ず詳細な技術が必要になる。

分析的アプローチ、設計的アプローチ、創造的アプローチ

昔、(学)産能大学に入ったばかりの頃に、分析的アプローチ、設計的アプローチ、創造的アプローチという3つのアプローチがある、というように習った。

①分析的アプローチ
分析的アプローチとは、物事を細かく分析することによって、その詳細の中から問題点を発見し、改善していくというアプローチである。
そもそも分析とは、
「ある物事を分解して、それを成立させている成分・要素・側面を明らかにすること」
「概念の内容を構成する諸徴表を各個に分けて明らかにすること」
「証明すべき命題から、それを成立させる条件へつぎつぎに遡ってゆく証明の仕方」(広辞苑)というものであり、あくまでも細かく分けることである。
したがって、必ずどこかでは、細かく分けたものをもう一度組立て直していく「総合」という作業が必要になる。つまり、分析はあくまでも分析であってそれだけで物事は完結しないと言うことである。

②設計的アプローチ
分析的アプローチに対して、設計的アプローチというものがある。
設計的アプローチとは、理想とする姿を目的的、あるいは、機能的に論理を積重ねることで作り上げていくものである。
例えば、スーパーマーケットであればすでにどのような店舗かと言うイメージは出来上がっている。生鮮食品があり、日配商品、惣菜、菓子、乾物、調味料、一般食品、ソフト・ドリンク、雑貨、という具合である。
しかし、既存のスーパーマーケットという概念から離れて目的的に作り上げて行くと必ずしも現状のスーパーマーケットと同じものができるとは限らない。
例えば現状のスーパーマーケットは必需品・実用品ばかりの品揃えで全く楽しくない。買物をしていてワクワクするような要素が全くない。そこで設計段階で「ワクワクする」「楽しめる」「自分でもできる(doing)」「(料理などが)習える」と言うような要素を加えて設計してみる。
それぞれのキーワードに対して具体的な商品、売り方、販促、什器、レイアウト、イベント、サービスなどをリストアップし、全体を組立ててみる。
東急ハンズの食品版のような店ができるかもしれないし、エンターテイメント+食品・食材+レストラン+インターネット+文化センターのような全く今までの概念とは異なる新しい店舗ができるかもしれない。
分析的アプローチは、細かく分けていった中からおかしな点を見つけて改善するため、部分的な改善が中心であり、本質的な点までは変えにくい。
それに対し、設計的アプローチは、今までの方法にこだわることなく、あくまでも抽象化して目的的に達成手段を組立てていくので、本質的な改善が可能なアプローチと言うことができる。
理想とする姿を明確にした上で現状とのギャップを明らかにし、そのギャップを埋めること=解消することで現状を飛躍的に改善していくのが設計的アプローチである。

③創造的アプローチ
分析的アプローチ、設計的アプローチに加えて創造的アプローチというものがある。
設計的アプローチが目的的、論理的であるのに対して、理想とする姿をアイデアで作り上げていこうというのが創造的アプローチである。あくまでもアイデアが中心であるので良いものができる時は、とてもすばらしいものができるが、アイデアの実現性や、改善案としての効果という点から考えると必ずしも確率が高い方法とは言えない。
このような3つのアプローチがあるわけだが、よくよく考えてみると、この3つのアプローチは、互いに相反するものではなく、一連の流れの中で相互に関連しながら使っていくと便利であることが分かる。
例えば、全体のフレームは、設計的アプローチであっても、現状を把握する時には、分析的アプローチを用いる。理想とする姿を描く時に、基本的には、設計的アプローチでいくが、理想とする姿のヒントは、創造的アプローチを用いてヒントを出す。あるいは、理想と現状とのギャップを解消するためのアイデアは創造的アプローチを用いるが具体的な改善案にまとめあげるのには設計的アプローチと分析的アプローチを合わせて用いる、と言う具合である。
このように、現実にはいろいろな方法、やり方があるが、それらをこのように分けてとらえていること自体がある意味では分析的アプローチと言うえるだろう。
実際の業務の場面では、もっと状況が複雑だし、いずれどこかでは、まとめあげ、完結させなければならない。したがって、さまざまなアプローチ・方法の特徴を良く知り、状況に応じて上手く使いこなすことがとても重要となる。

まとめ

以上のようにアプローチの仕方はいろいろとある。何でも細かくやれば良いというものではなく、それぞれの特徴をよく知り、目的や状況に応じてそれらを上手く使いこなすことが重要なのである。
「知る」ための情報・技術=クエスチョニング(シナリオをつくり、体系的に情報を集めて全体像を浮かび上がらせる)、「考える・整理する」ための情報・技術=visibility(一覧性)、「創り上げる」ための情報・技術=創造性+具現化するための具体的な方法(詳細な分析技術の裏返し)を状況に合わせて使いこなす視野の広さも技術の内である。
競合店調査についても、「そんなことを言っても現場では日々対応しているのだから....」と必ず言われてしまう。
そんな時は「だからいつまで経っても目先のことばかりで本質的な対応ができないのだ」と答えることにしている。
「鳥の目」と「虫の目」という言い方がある。高い所から見て全体を把握し、具体的に入る時には詳細に、ということだが、どちらか一方では困るし、まして反対に使ってしまったら大変なことである。
さらに空間的な視点だけでなく、過去から現在までの流れ、将来に対する予測という時間軸を併せ持つことで適切な状況認識と方向づけがはじめて可能になる。
まずは、大局を掴むことで正しく認識をし、具体的な実行レベルでは確実に実行できるだけの技術力・ノウハウを持つことが重要である。

(1997年11月)