1. 売場を科学する

売場を科学する

もう10年以上も前のことになるが、大阪でセミナーを開いたことがある。その時に事務局がつけたタイトルが「売場を科学する」であった。
名詞を動詞のように使うその響きが妙に気に入って、良く使うフレーズになっている。
小売業や流通業ではなく「売場」というのがいい。小売業や流通業だと抽象的で顔が見えてこないが「売場」だと実体がある。
具体的に触れるから結果もすぐに見える。
売場は生き物である。
われわれにいろいろなことを教えてくれるし、健康管理に気をつけないとすぐに崩れてしまう。タマゴッチみたいなものだろう。
先日、恩師である芝浦工業大学の津村豊治教授が定年退職された。
最後の講演の中で「現場はいい。いろいろなことを教えてくれる。」というような意味のことを言われていた。工場の現場と売場の違いはあるが、真理だと思う。
売場には、その企業の商売に対する考え方、システム、運営の精度、技術レベル、管理レベルなど全てが凝縮して現われている。
どんなにカッコのいいことを言っても売場を見れば全てが分かってしまう。
だから売場は楽しい。
売場を見て、商品を触ることで発見することは多い。
現在、どのような状況におかれているのか、どうすれば良いのかが見えてくる。
よく、業態論とか抽象的な経営論の方が「売場」よりもレベルが高いというようなことを言う人がいるが、どうだろうか。
私が以前にいた(学)産能大学でもそのような抽象論を偏重するという錯覚がコンサルタントの質の低下を招いている。
われわれコンサルタントは評論家ではない。
常に実体を相手にしている実務家でありたい。
どんなに多くの言葉よりも一つの事実を大切にする。
口で言っているだけで手を出さないのではなく、仮説を立てて実験してみる。
ただ、何でもやれば良いのではない。
「科学する」のである。
「科学とは、現実の全体、或はその特殊な領域、または諸側面に関する系統的認識」というように広辞苑にある。
言い換えれば、事実を正しく知り、事実の相互関係から仕組や法則性を見出すためにグルーピング、モデル化という方法をとる。
売場における仕組や法則性、これが原理原則である。
この原理原則が分かっているから、売場で起こるさまざまな現象の中から問題点を発見し、改善することが可能になる。
図表-1は、売場に現われるさまざまな問題点を原因別に表わしたものである。
その多くは、チェーン・オペレーション・システム( 今は、チェーン・マネジメント・システムと言い換えるべきだと考えている )や情報システムの不備によるものである。

 

【図表-1】

基本的にシステムは集中と分散の組み合わせである。
本来、本部で集中して処理するべきものが各店へ分散されればその分ムダが出る。
常に状況に応じた最適な状態を模索することが大切である。
そのためには、現状に対する正しい認識が必要である。
「科学する」から現状は把握しても悪者捜しはしない。
これが「科学する」ことである。
常に問題は起こり得るのであるから、早期に発見し、一刻も早く本来のアルベキ姿に戻すのが仕事である。
犯人捜しをし、悪者を作って糾弾することが目的ではない。
人は自分の周りに問題があると、悪者になりたくないので隠そうとする。言い訳を考える。
でも、これは「科学する」ことを阻害する。
問題が起こる構造、メカニズムを解明し、そういうことが二度と起こらないような仕組を作り上げることが「科学する」ことの本来の目的である。

事実を正しく把握する

「科学する」ことのスタートは、事実を正しく知ることである。
まだ、学生だった頃、工場見学に行ってこのような話を聞いた。
「君たちは工学部の学生である。文学部の学生であれば、カラスが鳴いて西の空へ飛んでいくのを見て原稿用紙何枚にも書くだろう。しかし、君たち工学部の学生は定性と定量で把握する必要がある。」
事実を正しく知ることの重要性を教わったのである。

① 「 カラスが鳴いて西の空へ飛んでいく 」
この文章から何を感じるだろうか。
・夕暮れ時 ・田舎の夕焼け ・ひょうきんなカラス ・不吉な感じ
都会のゴミをあさるカラス、.......etc.
人により感じ方はさまざまである。
どれが正しいかとたずねても感じ方の世界では全て正しいと言うしかない。

② それでは次のような表現に換えたらどうであろうか。
・ カラス ; ハシブトガラス ....1羽
・ 方位 ; 西南西..........西22度30分南
・ 高さ ; 地上...........20m
・ 速度 ; 時速...........30 km/H
・ はばたき ; 毎分 .........30回/分
...etc.

このように数値のもつ意味(定性)とそれらの諸特性を数値(定量)で表わすことを定性と定量で表わす、と言う。
定性と定量で表わすことで「感じ方」が「事実」に変わり、誰でも共通に認識できるようになる。

③ それではカラスが飛んでいる地上20mという高さは「高い」のであろうか、「低い」のであろうか。

多くの人は、ここで「数値でとらえる」ということを錯覚してしまう。
答を出そうとするのである。
事実は「地上20m」であって、「高い」とも「低い」とも判断はできない。
判断をするためには、カラスが飛ぶ高さに対する「ものさし=基準」が必要になる。
ものさし=基準があって、初めて判断できる。
数値でとらえるのは事実であり、判断はまだ先の話である。

 

【図表-2】

仮説-実験-検証

このようにして見出した仕組や法則性もまだ「仮説」でしかない。
「 仮説とは、自然科学、その他で、一定の現象を統一的に説明し得るように設けた仮定(広辞苑)」であり、「ここから理論的に導き出した結果が観察や実験で検証されると、仮説の域を脱して一定の限界内で妥当とする真理となる(広辞苑)」
したがって、仮説-実験-検証というサイクルによって「科学する」のである。
この仮説-実験-検証をマネジメント・サイクルと合わせて「 Plan=仮説―Do=実験―See=検証 」としたのは(学)産能大学の小玉勝也氏であるが、まさに科学とマネジメントの本質が同じであることを鋭く表現していると思う。
また、このようなことからわれわれが日常行っている業務も言い換えれば「臨床実験」ということができるであろう。
日々、仮説を立て、臨床実験を繰り返していれば多くの臨床例が蓄積してくる。
それをまたグルーピングすることで、いろいろなケースについての法則性が見えてくる。
さまざまな現象、場面がどのようなメカニズムによって発生し、どのような対応が有効であるのかということは、日々の仮説-実験-検証の中からしか分からない。
それがノウハウである。
「科学する」ことによって高いレベルの知識やノウハウを身につけることができる。
当然のこととして高いレベルでの業務遂行が可能になる。

目的発想

「売場を科学する」上で忘れてならないのが目的発想である。
何事も目的的に発想することで,間違えることが明らかに減る。
昔から繰り返されていることであるが「在庫を減らせ ! 」「値下をするな ! 」
このような手段が目的化してしまったような指示が多くの混乱を招いている。
「在庫を減らす」ことの本来の目的は不良在庫を減らすことであり、そうすることによって
①在庫状況を把握しやすくする
②発注の精度を上げることで欠品=チャンス・ロスや過剰在庫を減らす
③少ない在庫で売上を上げる=商品回転率のアップ
④値下を減らすことで荒利率を上げる
⑤余分な商品を持たないことで作業効率を高める
...etc.
ということの実現である。
それが「在庫を減らせ ! 」と指示を出すことによって
①全体的な発注カット
②売れる商品のみ売れて在庫が減り、売れない商品の在庫はそのまま
③全在庫に占める不良在庫のウエイトがアップ
④売上ダウン、値下アップ、荒利ダウン
という結果になってしまう。
誰が見ても論理的ではなく、科学的ではない。「科学する」ことは目的的 である必要がある。
人間であれば不合理な面を多く持ち合わせているものである。前述の悪者になりたくない、悪者を作りたくない、という発想も同じである。
不合理だからこそ、「科学する」ことで補う必要があるだろう。
今一度、原点に戻って「売場を科学する」のも大切ではないだろうか。

まとめ

最近、話題になっている店舗をいくつか見る機会があった。
しかし、残念なことにどう見ても「科学していない」のである。
「悪者」を作らないための打算の結果なのだろうか。
手段が目的化してしまった結果なのだろうか。
全ての不都合は、売場の人がかぶらなければならない。
365日、毎日その不都合のために本来の仕事ができないことは苦痛でしかない。
本来、もっと高いレベルで仕事ができるかもしれないのに、後始末ばかりやらねばならないの
は組識としても個人としても大きな損失である。
だから「科学する」のである。
「科学する」ためには大げさなことは不要である。
①事実に基づき、人の所為にしない
②何事もメカニズムとしてとらえ、仕組で解決する。
③仮説を大切にし、仮説-実験-検証のサイクルをまわす
これらのことを一つずつ積重ねていくことが、結局「科学する」ことにつながるのである。

(1997年5月)