4. システム思考

システム

子供のサッカーを見ていると実に面白い。
よく訓練されているチームとそうでないチームの試合では、同じ11人どうしのはずなのに良く訓練されているチームの方がはるかに人数が多く見える。ずば抜けた能力の子供がいなくてもボールを支配している時間が圧倒的に多く、フィールド上でボールと共に動いていく様子が実にスムーズである。

一方、あまり訓練されていないチームの動きはというと、実にぎこちない。

ボールがどこへ行こうと、自分勝手に動き回るからなかなかチームとしての組立てができない。

ボールを勝手な方向に蹴るからパスがつながらない。意志の疎通が感じられない。11人の動きがバラバラである。

サッカーというスポーツは実に単純である。広いコートとボールが一つあれば良い。キーパーがペナルティエリア内で手を使える以外は、全てボールは手以外で扱わなければならない。
キーパーを含めた11人は広いコートの中であればどこの位置にいても良く、基本的なポジションはあるが試合の流れ、状況に応じてさまざまにポジションを変えていく。

野球では攻撃・守備が表・裏というように分かれており、しかもピッチャー、キャッチャー、内野、外野というようにポジションが明確である。野球と比べるとサッカーは実に競技のルールが単純で自由度が高いスポーツである。
サッカーでは、攻めや守りに決まった型があるように思えるが実際には個々の選手が状況に応じてインスピレーションを働かせ、修正している。しかも野球のように一球一球サインを出したり、状況に応じて試合を止めて指示を出すということができない。一度試合が始まってしまえば、時間内にベンチから大きな修正をかけることはできない。したがって、チームのメンバーが事前に十分な申し合わせをして練習をしておかない限り、試合でスムーズに動くことは難しい。

サッカーでは「システム」という言葉をよく使うが、野球ではあまり聞いたことがない。
サッカーはフィールド(最近ではピッチというようであるが..)にいる11人がどのような陣形をとり、さまざまなケースに対応してどのように動くのかということを指してシステムという言葉を使う。
一方、野球は、チームによって陣形が違うということは基本的にない。ピッチャーにはマウンドがあるし、キャッチャーも守る位置は決まっている。内野も外野も基本的に守る位置が明確である。全てはピッチャーがボールを投げることでスタートし、バッターがそのボールを打つことで区切りがつく。ゲームの前提になる決まり、ルールという決め事がサッカーと比べて実に多い。

このように見ていくと「システム」というものがどのようなものであるのか、ということはコンピュータなどよりもスポーツで見ていく方が分かりやすい。

例えば2人でボール蹴りをする。この段階では、相手が蹴ったボールを自分が止め、相手に向かって蹴り返す、という暗黙の了解がある。実に単純な申し合わせ事項である。

これが3人になると、ボールを渡す相手を2人の内のどちらにするのか、3人がどのような順番でボールを動かすのかなどを決めなくてはならない。

良く練習で行う2人対2人、3人対2人でのボールの取り合いになるともっと複雑になる。

静止した状態でボールをもらうわけではないので、常に相手の動き、味方の動きを見ながら自分も動かなければならない。味方と同じ所へ動いてしまえば同じ位置に2人が集まってしまいパスを出すことも受けることもできなくなる。守る方も一ヶ所だけを守れば良いから守りやすくなる。
常に相手がいない、しかも味方もいない位置に自分が動いてボールをもらう必要がある。
相互に干渉しながら動くことになる。かなり複雑である。

さらに試合になると少なくともキーパーを除いた10人ずつがフィールドにはいる。

しかも、攻めるだけではなく、相手にボールを取られたらすかさず守りにまわらなければならない。守っていて相手からボールを取ったら今度はすかさず攻めに転じる必要がある。

ルールが単純なだけに逆に考えられるバリエーションは実に多様であり、複雑である。
この複雑な動きを上手く維持していくのには少なくとも以下の2点が必要になる。

①個々の選手がさまざまな状況に対応して、その時々で自分がどのように動くべきかというパターンを幾通りか持っている。
②個々の選手が動く時、動き方に対する条件、トリガーが決まっている。

したがって、試合の中で個々の選手が相手や味方の動きから状況を認識してさまざまな条件、トリガーを確認、もしくは推測し、その時点で最良と思われる動き方をしていくことになる。

このように「システム」には、さまざまな状況=条件やトリガーに応じて個々の構成要素がどのように動くのかという事前の決め事があり、その決め事に応じて構成要素が自動的に動いていく。この決め事を設定したものが「プログラム」である。

プログラムには、実にさまざまなことが織り込まれている。全体に対する制約条件、意思決定に関わる要素、条件、状況判断をする上での推測の仕方、さまざまなケースに対応する動き方、...などである。したがって、精度の高いシステムは、これらのプログラムの精度が高いということになる。

ただし、ただ単に細かなだけのプログラムでは、手間とコストばかりがかかってしまい効率が悪くなる。システムが機能する上で重要となる要素、条件に対するウエイト付けがどのように行われているか、如何に重点を絞ってプログラム化されているかということが大切でである。

これらのことを踏まえて「システム」について定義をすると次のようになる。
「システムとは、構成要素の有機的結合によって作り出されたメカニズムにより構成要素単体の総和以上の効果=相乗効果を挙げる仕組である」
さらに「システムの構成要素間の関係、各構成要素の動き方に関わる要素・条件・トリガーなどと各構成要素の動き方に関する決め事を表わしたものがシステムのプログラムである」

システム思考

仕事の場面に限らず、さまざまな現象に対してそれらをどのように認識し、どのように修正しようとするのか、ということは人によって大きく変わる。どのような思考形態を取るのかということは実に重要なことであるが普段あまり議論されることはない。

ここでは、「 システム思考 」ということについて考えてみる。

ものごとを観る時、個別の現象=結果に対応しているときりがない。したがって、ものごとについては、その現象=結果を作り出しているメカニズムとしてとらえてみるとよく分かる。

メカニズムは、さまざまな現象=結果が現われてくるプロセスであり、さまざまな現象が起こる理由、さまざまな現象を決定付けている要素・要因の組合せ、条件、トリガーなどの相互関係である。

例えば、子供のサッカーの試合でこのようなことがあった。
守っていたディフェンスの子が相手のフォワードからボールを取り、コートの内側に蹴りいれた。そのボールが敵のフォワードに直接渡り、シュートを決められてしまった。普通、守る時はボールを外へ蹴り出すのが鉄則であるから、コートの内側にボールを蹴りいれて点を取られてしまったことに対し、その子は皆から非難される。

しかし、よく観ているとそのようなケースは実に多いものである。
単なるミスでは何ら解決にならないのでメカニズムとして捉えてみる必要がある。

観察してみるとそのような現象が起こるメカニズムが分かる。
外に蹴り出すには左足で蹴らなければならないケースがある。左足でボールを上手く蹴ることができない子はどうしても右足で蹴ることになり、ボールは反対側、つまりコートの内側に入ってしまう。単なるミスでも不注意でもない。左足で蹴ることができないために仕方なく起こっているだけの現象である。
このようなメカニズムが分かれば、プログラムの追加・修正が必要になる。この場合であれば、必ず味方がボールをもらえる位置=なるべく正面にきてボールをもらい、蹴りやすい姿勢でボールを前に蹴るようにすれば良い。余裕を持って蹴ることが出きればパスとして十分つながるボールを蹴ることが出きる。
前から来るボールを蹴るのは蹴りやすいが、敵とせりながらボールを追いかけてしかも苦手な左足で蹴るのは難しい。常により蹴りやすい態勢でボールを蹴ることができるようにプログラムの追加・修正をすることが大切になる。

このようにものごとを現象ではなく、メカニズムとして捉えることができると見えるもの=認識が違ってくる。当然、見え方が違えば同じ現象に対する対応の仕方も変わる。

ものごとを構成要素とその構成要素がどのように関連して動いているのかというメカニズムとしてとらえる=これがシステム的な思考方法ということができるだろう。

それでは、システム思考の練習をしてみる。
「子供の成績が下がってしまった」
よくあることである。どのように捉えたらよいであろうか。とらえ方によって対策は変わってくる。
単純に「勉強をしていないから」というのであれば答えは「勉強しろ」ということになる。
これでは子供に対してよいアドバイスはできない。
そこで「成績」「勉強」ということについて考えてみる。
成績というのは学校での試験の点数で決まる部分が多い。授業態度とか定量化できないものについては評価者の主観によるところが大きいので試験の点数を中心に考えてみる。
試験の点数がよくないのは、理解不足の場合と試験問題に対する不慣れの場合の2通りが考えられる。後者の場合は数をこなすことで慣れる必要があるが、前者については「勉強の仕方」と関係してくる。
現在の学校で問題なのは「知識」を教えて「勉強の仕方」を教えないことである。
よく発展途上国に対して、「魚(食料)を与えるのではなく、魚の取り方を教えるべきだ」という言い方をする。
これと全く同じである。子供に対しても単に知識を与えるのではなく、自分に合った勉強の仕方を教えることが大切なのである。ところが現状ではそれができていない。
したがって、授業だけで対応できる一定の知識レベルまではカバーできても自分で勉強しないとついていけないレベルになると勉強の仕方で差が出てしまう。
試験の成績=理解度が決まるメカニズムを見ていく必要がある。
成績が下がってくるということは、それまである程度できていたわけであるから通常、本人は自信を無くしている。本人もどうして成績が落ちているのか、何が問題なのか良く分からない。
当然、どうすれば良いのかということなどは全く分からない。
「勉強しないから成績が悪い」と言われてもどうしようもない。
現象だけ見ているのでは、そのような結果に至るメカニズムは見えてこない。
成績が落ちてきた子供のヒヤリングをしたり、勉強の仕方を見ていると多くの場合、成績が落ちてきたタイミングと前後して勉強の仕方が限界になっているものである。
そもそも「勉強」という行為が何であるのかということを考えていくと、単純に知識を暗記するというよりは、系統立ててものごとの関係を整理していくという作業が中心になる。
したがって、冷静にそのような作業が行われている内はよいが、一度前後関係が見えなくなってしまうといくら暗記して対応しようとしてもベースにある整理するための地図を見失っているから空回りしてしまう。これが「成績が下がるメカニズム」である。
このように捉えることができれば、後はプログラムの追加と修正をしていけばよい。
初めから全体像が明確になっていないケースが圧倒的に多いから、到達点を含めた全体像を大枠で捉えることからスタートする。全体のなかで、どのようなスケジュールで、どのように知識を積上げていくのかという手順を明らかにしていけばよい。
実は、売場でも同じことがいえる。
業績が下がった場合の対応もメカニズムとして捉えていくと原因が分かるというだけではなく、どのようなプログラムの追加・修正をかけていったらよいのか、ということが分かってくる。
商品に関する対応、売場作りに関する対応、売り方に対する対応などである。
システム思考は、さまざまなものごとをメカニズムとして捉えていく。日頃からトレーニングしておくと便利である。

(1997年8月)